淡島家について|さくら 日本文化体験教室 京都

淡島家について

淡島家

江戸・淡島家

淡島寒月の兄の伊藤家の墓は、東京のホテル・オ-クラとアメリカ大使館の後ろにある小さい寺「林誓寺」である。
豪商として有名だった伊藤八兵衛の墓は、幕府に特別に許されていたという特別な傘のある墓であった。

淡島家にまつわる歴史

軽焼淡島屋

淡島屋

江戸時代から馬喰町で淡島屋という菓子屋を営んでいました。
ここの名物は軽焼(かるやき)で、「病が軽く済む」と疱瘡(ほうそう・天然痘のこと)見舞いに好まれたこともあって店は大層繁盛し、名店の御曹司として何不自由なく子ども時代を過ごしたといいます。
寒月が雑誌に寄せた随筆や講話などまとめた『梵雲庵雑話(ぼんうんあんざつわ)』(1933)には、彼が暮らした江戸の町並みを書いたものがあり、幾世餅、みめより、桜餅といった、江戸っ子が親しんだ菓子も登場します。そのなかに辻占(つじうら)についての記述が出てきます。

淡島 椿岳

淡島 椿岳/Chingaku Awashima

幕末-明治時代の画家。
小林椿岳(常陸水戸藩士)の名でも知られる。
前姓は淡島。通称は城三。別号に吉梵。
明治時代の作家・画家・蒐集家の淡島寒月は椿岳の実子。
親子揃ってマルチな趣味人・独自の方向性を持った自由人として知られた。また、幕末の大富豪・伊藤八兵衛は椿岳の実兄である。

ウィキペディア(Wikipedia)

参考著書
内田魯庵 著「淡島椿岳」
山口昌男 著「敗者の精神史」

伊藤家所持著作

淡島 寒月

淡島"寒月"寶受郎/Tomio "Kangetsu" Awashima

本名: 淡島寶受郎(とみお)、は、明治時代の日本の作家、画家、古物収集家。父親は画家の淡島椿岳。
長女は教育者・政治家の木内キヤウ。
伯父は幕末の大富豪の伊藤八兵衛。
広範な知識を持った趣味人であり、元禄の作家井原西鶴を再評価し、幸田露伴や尾崎紅葉など文壇に紹介したエピソードで有名である。
収集家としても有名であり、住居の梵雲庵には3000あまりの玩具と江戸文化の貴重な資料があったが、関東大震災の際に全て焼失した。
夏目漱石の「我が輩は猫である」に水島寒月という学者が登場するが、モデルは寺田寅彦で、名前は淡島寒月から採ったといわれている。

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木内 キヤウ

木内 キヤウ/Kyou Kiuchi

教育家。東京浅草で明治17年(1884)に、井原西鶴の研究や玩具収集などで知られる淡島寒月の長女として誕生。
木内辰三郎と結婚。
明治36年(1903)から東京府の小学校教員として勤務、自らの経験を通じて、女性の地位向上に取り組みました。
全国小学校連合女教員会で幹事などを務め、昭和3年(1928)には同会の代表として汎太平洋婦人会議にも参加しました。
1931年(昭和6)から1941年まで志村第一尋常小学校(現在の志村第一小学校)に日本初の女性の校長として就任。
第二次世界大戦後、1947年全国区参議院議員になっています。
参考著書
木内キヤウ 著『教育一路』
木内キヤウ 著『教育一路/汎太平洋婦人会議に列して――伝記・木内キヤウ』

あなたみたいな明治の女(ひと)